2008年11月25日火曜日

夢の反対語はなんだろう?

「爆笑問題のニッポンの教養」は僕の大好きなテレビ番組のひとつです。
今日はスペシャルで、早稲田大学での収録でした。
テーマは「平成の突破力」。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/news/20081125.html

滅茶苦茶面白かったです。

名物教授陣と早稲田で特命教授をやっている
田原総一朗まで登場!

一筋縄ではいかない人たちを前に
一歩も引かない太田光とそれを巧みにフォローする田中裕二。
青臭いながらも鋭い質問を投げかける学生たちも
実に刺激的で心地よいセッションが続きました。

そこで出てきたコトバの数々。

「個性」「連帯」「サブカル」「自由」「バンカラ」「変化」
「不安」「資本主義と共産主義」「数学」「不確実」そして「夢」

田原総一朗は言います。
「今の若者たちには夢がない」

確かに夢を語る人は少ないと思います。

それには2種類いて、
「夢はあるけど人に語らない人」
「本当に夢がない人」
田原総一朗は後者が増えていることを指摘したのだと思います。

夢がない人が増えたのは
環境の変化がもたらした必然性なのではないかと
僕は感じます。だから、何も夢がないことに引け目を感じる
こともないんじゃないでしょうか。
しかし、夢に向かって生きていないのであるならば
一体何に向かって生きているのでしょうか?

僕はふと思いました。

夢の反対語はなんだろう?

かつて夢は人生の目標であり原動力であったに
違いありません。
今はそういったものが薄れて
ある意味流れに身を任せて生きている人が
多いのでしょう。

ではなぜ流れに身を任せてしまうのか?

それは例えそれでも不自由なく生きていけるからではないでしょうか?
つまり、夢は未充足感を前提として成り立つのかもしれません。
自分の足りなさ、満たされなさ、貧しさ、コンプレックス、
下から這い上がりたい想い、他社への羨望、未来への希望、
それらを全部まとめて乗り越えてやろうと思うからこそ存在した。
今は、そうではなく、既に小高い山の上の方にみんながいるから
そんなことを思う機会も必要もない。


「夢」の反対語は・・・・「幸福」なのかもしれない。


岡本太郎は著書「自分の中に毒を持て」でこういっています。
「ぼくは“幸福反対論者”だ。幸福というのは、自分に辛いことや
 心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、安全な状態をいうんだ。
 (中略)もっと正直になって、恐れずに自分の内側を直視して
 いいじゃないか。必ず心のどこかに満たされていいないものが
 あるはずだ。」


番組の最後は大隈重信の下記のコトバでしめていました。
「学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。
 しかし、卑しくも大成を期せんには、
 先ずこれらすべてを統(す)ぶる意志の大いなる力がいる、
 これは勇気である。



夢を見つけるには、現状の幸福感に甘んじることなく
まずは自分と向き合い、満たされないものを直視することが
大切なのでしょう。

夢を見つけることも実現することも
その前には必ず「恐怖」という名の障壁がつきまとう。

負けることなく突破するための「勇気」を大切にしたいものです。